2026.6.5
日本人管理者が見落としやすい “退職のサイン” ~ タイで働く上で理解しておくべき「離職」の背景

タイに赴任した日本人管理者から、近年特に多く聞かれる悩みの一つが、「若手社員が突然辞める」という問題です。
昨日まで普通に働いていた社員が、ある日突然退職届を提出する。中には、LINEで退職の意思を伝えてきたり、翌日から出社しなくなるケースもあります。
日本人管理者からすると、
「なぜ事前に相談してくれなかったのか」
「何が不満だったのか分からない」
と感じることが少なくありません。
しかし、タイ人若手社員の行動を単純に「責任感がない」「我慢が足りない」と捉えると、本質を見誤ります。
現在のタイでは、20〜30代の若手社員を中心に、仕事観・組織観・キャリア観が大きく変化しています。特に都市部では転職市場が活発化し、「長く一社で働くこと」が必ずしも美徳ではなくなっています。
また、日本人が考える「事前相談」「本音で話す」「会社への忠誠心」といった価値観が、タイ人社員にそのまま当てはまるわけではありません。
むしろタイでは、
・人間関係を壊さない
・相手の面子を守る
・直接対立を避ける
・空気を乱さない
ことが重視されるため、不満があっても表面化しにくい傾向があります。
その結果、日本人上司から見ると「突然辞めた」ように見えるのです。
タイ人若手社員が退職を決断するまでのプロセス
「問題ありません」は本当に問題ないのか
タイ人社員との面談で、
「大丈夫です」
「問題ありません」
「できます」
という返答を受けることは珍しくありません。
しかし、これは必ずしも「納得している」「モチベーションが高い」ことを意味しません。
タイでは、相手を不快にさせないことが重視されるため、特に上司に対して否定的な意見を直接伝えることを避ける傾向があります。
そのため、
・業務量への不満
・上司へのストレス
・将来への不安
・評価への不満
が蓄積していても、表面上は穏やかに振る舞うケースが多く見られます。
日本人管理者が「何も言ってこないから問題ない」と判断してしまうと、退職の兆候を見逃します。
タイ人若手社員は“会社”より“上司”を見ている
近年のタイ人若手社員は、企業ブランドや歴史よりも、「誰と働くか」を重視する傾向があります。
特に以下のような点は、離職に直結しやすいポイントです。
・人前で叱責される
・感情的に指導される
・話を聞いてもらえない
・上司が威圧的
・指示だけでフォローがない
日本では「指導」のつもりでも、タイ人社員からは「人格否定」と受け取られることがあります。
また、タイ社会ではSNSや友人ネットワークによる転職情報共有が非常に活発です。
そのため、「この会社は働きにくい」という評判が広がるスピードも早く、若手社員は「無理して我慢する」より、「環境を変える」選択をしやすくなっています。

実際に起きやすい管理トラブル
ケース①:評価面談での“曖昧な期待値”による退職
ある日系商社では、日本人管理者が20代後半のタイ人営業スタッフに対し、評価面談のたびに、
「もっと主体的に動いてほしい」
「言われる前に考えて動いてほしい」
「空気を読んで行動してほしい」
と繰り返し伝えていました。
日本人管理者としては、「自分で考えて行動できる人材へ成長してほしい」という期待から出た言葉でした。
しかし、タイ人社員側は次第に強いプレッシャーを感じるようになっていました。
本人の中では、
・具体的に何を優先すべきなのか分からない
・どこまで自分で判断して良いのか不明
・勝手に動いて失敗した場合、責任を問われるのが怖い
・上司が求める“主体性”の基準が見えない
という不安が積み重なっていたのです。
特にタイでは、日本のように「察して動く」ことを前提にした教育や職場文化が比較的弱く、「まず指示を明確に受ける」ことが重視される傾向があります。
また、タイ人若手社員は、上司との関係性を非常に気にするため、「期待に応えられていない」と感じても、それを率直に相談できません。
その社員も、面談では常に、
「はい、分かりました」
「頑張ります」
と笑顔で返答していました。
日本人管理者は、「本人も前向きに受け止めている」と認識していましたが、実際には本人のストレスは徐々に大きくなっていました。
さらに問題だったのは、評価基準そのものが曖昧だったことです。
・何を達成すれば評価されるのか
・どの行動が“主体性”として認められるのか
・失敗時にどこまで許容されるのか
が本人に十分共有されていませんでした。
結果として、その社員は次第に自信を失い、
「自分はこの会社に向いていない」
「期待に応えられないなら、別の環境へ行った方が良い」
と考えるようになり、転職を決断しました。
退職時、日本人管理者は、
「特に不満は聞いていなかった」
「突然辞めた」
と感じていました。
しかし実際には、“曖昧な期待”が長期間プレッシャーとなり、静かに蓄積していたのです。
タイでは、日本以上に「役割」「責任範囲」「期待値」を明確に示すことが重要です。
特に若手社員ほど、
・何をすれば評価されるのか
・どこまで裁量があるのか
・失敗時にどうフォローされるのか
を具体的に言語化する必要があります。

ケース②:給与を上げても防げなかった若手社員の転職
ある日系メーカーでは、若手社員の離職が増え始めたことを受け、日本人経営陣が待遇改善を進めていました。
・毎年の昇給
・賞与支給
・通勤手当の増額
・社員旅行や福利厚生の充実
など、日本側としては「働きやすい会社づくり」を進めているつもりでした。
そのため、日本人管理者の間では、
「これだけ待遇を良くしているのになぜ辞めるのか」
「昔のタイ人はもっと会社に定着していた」
「最近の若手は我慢しない」
という声が出るようになっていました。
しかし、退職者へのヒアリングを行うと、若手社員が不満を感じていたのは、給与水準そのものではありませんでした。
むしろ多かったのは、
・毎日同じ業務の繰り返し
・単純作業ばかりで成長実感がない
・新しい仕事に挑戦させてもらえない
・上司が重要業務を任せてくれない
・キャリアパスが見えない
という“将来への不安”でした。
特に近年のタイ人若手社員は、SNSや転職サイトを通じて、他社の給与水準やキャリア事例を日常的に見ています。
そのため、
「今の会社で3年後、5年後にどんなスキルが身につくのか」
を非常に意識しています。
ある若手社員は、退職時に、
「給与に不満はありません。でも、このままだと自分の市場価値が上がらない気がしました」
と話していました。
日本人管理者からすると、
「安定して働ける環境」
「残業も少ない」
「給与も悪くない」
という認識でした。
しかし若手社員側は、
「この会社にいても成長できない」
「もっと挑戦できる環境へ行きたい」
と感じていたのです。
また、日本人管理者が「失敗させないため」に細かく業務管理を行っていたことも、逆に若手社員の成長機会を奪っていました。
タイ人若手社員は以前よりも、
・自分で考えて働きたい
・スキルアップしたい
・将来に繋がる経験を積みたい
という意識を強く持っています。
そのため現在のタイでは、「給与を上げれば定着する」という時代ではなくなりつつあります。
待遇改善だけでなく、
・キャリア形成
・成長機会
・権限委譲
・挑戦できる環境
をどう設計するかが、若手定着の重要なポイントになっています。

ケース③:日本式の“細かい確認”が若手社員の心理的負担になる
ある日系メーカーでは、日本人管理者が品質管理を非常に重視していました。
そのため、タイ人スタッフに対して日常的に、
・「今どこまで進んでいる?」
・「なぜこのやり方にしたの?」
・「事前に報告してほしかった」
・「先に確認してから進めて」
・「念のため再チェックして」
と頻繁に確認や指示を行っていました。
日本側としては、
・ミス防止
・品質維持
・顧客クレーム予防
・業務標準化
を徹底するための行動でした。
特に日本本社から品質要求が厳しく、「問題を未然に防ぐ管理」が強く求められていた背景もありました。
しかしタイ人社員側は、次第に別の感情を抱くようになっていました。
・自分は信用されていない
・常に監視されている
・失敗を疑われている
・自分で判断してはいけない雰囲気がある
と感じ始めたのです。
さらに、確認のたびに細かな修正指示が入るため、若手社員は次第に、
「どうせ自分で判断しても修正される」
「まず上司に聞いた方が安全」
という受け身の姿勢になっていきました。
しかし日本人管理者は、それを見て、
「もっと主体的に動いてほしい」
「自分で考えてほしい」
とさらに指導を強めるようになりました。
結果として、
・管理は厳しくなる
・若手は萎縮する
・自主性はさらに低下する
という悪循環が生まれてしまったのです。
それでもタイ人社員は表面的には穏やかに対応していました。
・「はい、大丈夫です」
・「分かりました」
・「問題ありません」
と笑顔で返答していたため、日本人管理者は「関係性は悪くない」と考えていました。
しかし実際には、若手社員の間では、
「もっと任せてもらえる会社へ行きたい」
「毎日緊張しながら働くのが辛い」
という不満が静かに広がっていました。
最終的には、複数の若手社員が外資系企業やタイローカル企業へ転職していきました。
現在のタイ人若手社員は、「細かく管理されること」よりも、
・信頼して任せてもらえること
・自分の意見を尊重されること
・裁量を持って働けること
を重視する傾向が強くなっています。
そのため、日本式の“丁寧な管理”が、タイでは“過度な干渉”として受け取られるケースが増えている点に注意が必要です。
タイ労働法と価値観から見る背景
タイでは「辞める自由」が比較的強い
タイ労働法では、試用期間中だけでなく、本採用後でも比較的柔軟に転職が行われます。
もちろん、解雇には法的規制がありますが、従業員側の転職ハードルは日本ほど高くありません。
また、タイでは「会社に尽くす」という価値観よりも、
・自分に合う環境
・精神的ストレスの少なさ
・人間関係
・成長機会
を優先する傾向があります。
特にZ世代では、「嫌なら辞める」は珍しい価値観ではなくなっています。
日本型マネジメントとのギャップ
日本企業では、
・我慢して成長する
・空気を読む
・長期雇用前提
という文化があります。
しかしタイでは、
・理不尽なストレスを避ける
・上司との関係性を重視
・即時性を重視
・キャリアアップのため転職する
という考え方が強く、前提が異なります。
このギャップを理解しないまま日本式管理を押し付けると、若手社員の定着率は下がります。
日本人管理者が取るべき対応策

「辞める人」より「周囲の空気」を見る
退職の兆候は、本人より周囲に先に現れることがあります。
・雑談が減る
・昼食メンバーが変わる
・LINEグループの反応が薄くなる
・周囲が急に距離を取る
こうした変化は重要なサインです。
タイでは横の人間関係が強いため、一人の不満が周囲へ広がりやすい特徴があります。
1on1は“聞き出す場”ではなく“安心させる場”
日本式の「課題確認面談」をそのまま持ち込むと、タイ人社員は本音を隠します。
重要なのは、
・否定しない
・詰問しない
・感情的にならない
・小さな相談を歓迎する
ことです。
特に若手社員は、「この上司は安全か」を慎重に見ています。
人前で叱らない
注意・指導は個別に行い、感情的表現を避けるべきです。
タイに駐在している皆さんは、タイでは「面子を守る」ことが極めて重要だと言われていることと思います。人前での叱責は本人だけでなく周囲にも強い不安を与えます。
「辞めない仕組み」より「話せる環境」を作る
給与や福利厚生だけでは、若手社員の定着は難しくなっています。
むしろ重要なのは、
・上司との信頼関係
・ 心理的安全性
・キャリアの見通し
・承認される感覚
です。
特にタイでは、「この会社で大切にされている」と感じられるかが、定着率へ大きく影響します。
最後に・・・~ “突然の退職”は突然ではない

タイ人若手社員の退職は、日本人管理者から見ると突然に映ります。
しかし実際には、多くの場合、
・不満を表に出さず
・関係悪化を避け
・静かに限界を迎え
・転職を決断している
のです。
日本式マネジメントをそのまま適用するだけでは、現在のタイ人若手社員との間に大きなズレが生じます。
重要なのは、「なぜ辞めるのか」を感情論で捉えるのではなく、タイ特有の文化・価値観・労働観を理解することです。
これからのタイマネジメントでは、「厳しく管理する力」よりも、「安心して働ける環境を作る力」が、より重要になっていくと考えます。
今日の内容が皆様の会社経営の一助となれば幸いです。
執筆者:前田千文

2001年1月、TJ Prannnarai Recruitment創業。2015年より泰日経済技術振興協会にて労働法の講師を拝命。2025年7月、アベノ印刷の2代目社長に就任。