2026.4.8
タイに赴任した日本人管理者が最初に驚くことの一つが、「タイ人の履歴書の一貫性のなさ」です。
上位大学を卒業し、日本語能力試験N2を持ち、日本留学経験もある…。
一見、ハイスペックな若手が、最初のキャリアとして「通訳」や「アドミン」に入り、その後も短期間で複数の職種を転々とするケースが少なくありません。
日本人の目線では
「なぜ専門性を積み上げないのか」
「経験が浅いままになってしまわないか」
と疑問に思うことも多いでしょう。
しかし、この背景には、『タイの労働市場・教育・価値観・企業文化・労働法が複雑に絡み合った構造的な理由』があります。
今回は、文化ギャップ、労務トラブルの事例、法律の側面も含め、なぜキャリアが“一貫して見えない”のかを考察します。

タイ人のキャリアが「つながりにくい」理由
1. 労働市場の構造と「ジョブ型雇用」の影響
日本と異なり、タイでは欧米型に近い「ジョブ型雇用」が主流です。
採用段階から
・会計
・営業
・マーケティング
・通訳(Interpreter)
など、「職務を固定して雇う文化」が非常に強くあります。
本来であればこれは専門性を育てる方向に働くはずですが、逆にキャリアを散らばらせる要因にもなっています。
① ジョブ型ゆえにミスマッチが起こると辞めるしかない
日本企業のように会社内で「別部署に異動して再チャレンジ」というローテーションの仕組みが弱く、職務変更は本人同意が必須です。
そのため、
・入社後に仕事内容が合わない
・上司との相性が悪い
・将来像と違う
と感じた場合、「他の職種へ会社内異動するのではなく、転職して職務ごと変えてしまう」という選択になりやすいのです。
結果として、
「会計 → アドミン → 営業アシスタント → 通訳」
のように、履歴書に統一性が生まれにくくなります。
② 給与と待遇を優先するため、職務を変えて転職する
タイでは転職が当たり前であり、「給与アップは転職によって実現するもの」という認識が強いです。
また、自分の部署に自分よりも役職が上の人がいる場合、例えば「マネージャー」などがいる場合、その部署ではマネージャーが辞めるまで、自分はマネージャーになる機会はありません。
よって職務の専門性よりも、
・給料
・通勤距離
・人間関係
・労働環境
を優先して転職するため、「キャリアの軸よりも生活重視」の行動が生まれ、結果的にキャリアが散らばりがちです。
③ 中小企業では JD(Job Description:職務記述書)が曖昧で兼務が発生しやすい
タイの中小企業や日系企業では、
・総務+人事
・営業+カスタマーサービス
・会計+アドミン
など、実務上は複数業務を兼務することが一般的です。
採用はジョブ型でも、実際の働き方は“混成型”に近いことが多く、本人の中で専門性の積み上げ感が弱くなる傾向があります。
JDがあっても、実際の仕事は違うことや、多岐にわたることが多いのも一般的です。
文化的背景:仕事観・転職観の違い

① タイでは「転職=経験値の獲得」という価値観
タイ人にとって転職は「キャリアアップの手段」であり、肯定的にとらえられます。
むしろ、同じ会社に長くいると
「成長が少ないのでは」
と思われることもあるほどです。
② 家族中心文化がキャリアに影響する
タイは東南アジアの中でも特に「家族を重視する社会」です。
そのため、
・親の介護のため実家近くに戻る
・結婚で職場を変える
・家族の都合を優先する働き方
など、個人のキャリアよりも家庭事情が優先されるケースが非常に多く、キャリアの連続性が失われやすくなります。
③ ストレスより「働きやすさ」を優先する国民性
タイでは
・ 上司との人間関係
・職場の雰囲気
・プレッシャーの少なさ
が非常に重要視されます。
仕事のやりがいよりも“居心地の良さ” が優先されるため、ストレスが強い職務は長続きしません。
3. 実務の現場で起こるトラブル・法律リスク
事例①:通訳として採用したが半年で離職
本人は「マーケティング希望」だったが、日本語ができるので通訳として採用した。
キャリアが見えず、半年で退職。→ 採用時のキャリアミスマッチ。
事例②:異動に同意せず労働局へ相談
「総務 → 営業アシスタント」への異動命令を出したところ、「仕事内容が契約と違う」と労働局に駆け込まれた。
→ タイ労働者保護法では職務変更(=雇用契約の変更)は本人の同意が必要。
事例③:給与アップ目的で短期転職が続く
半年〜1年で転職し、経験が断片化。日本人管理者には「経験が浅い」と映る。
→ 給与制度が未整備な企業ほど発生。
解説:タイ労働法・価値観・マネジメント理論による考察

タイ労働法の重要ポイント
・職務変更は雇用条件の変更と捉えられるため、本人の同意が必要。
・解雇時の解雇補償金の規定が明確。(労働者保護法118条-122条)
・雇用契約と JD の不一致はトラブルの原因。
・日本のような「会社が人材を育てる文化」が弱い。
これらの法律・慣行が、長期的キャリア構築よりも「合わなければ転職」を選ばせる環境を作っていると考えられます。
価値観の違い:マズロー の法則で見るタイ人の働き方
マズローの法則に照らすと、タイ人は
・安心・安全
・所属欲求
・人間関係
を重視する傾向が強く、自己実現欲求は優先度が低いことが多いようです。
そのため、「専門性の蓄積」より“心地よい環境で働けるか”がキャリア選択に大きく影響します。
管理上の注意点
今まで述べたことを考えると、以下の注意点が浮き彫りとなります。
・日本式の「長期育成前提」では機能しない可能性が高い。
・キャリアパスを具体的に示さないと定着しない
・人間関係の影響が大きいため、上司の関わり方が重要
・「言わなくても伝わる」は通用しない
対応策と実務アドバイスー何をやったら良いのか?

1. 採用段階でキャリア志向を深く確認する
「なぜこの職務を希望するのか」「3年後の自分はどうなっていたいか」を徹底的に聞き出すことで、ミスマッチ採用を防げます。
2. 通訳職・アドミン職の “キャリア化” を意識する
通訳・アドミンはキャリアが途切れやすいため、
・通訳+総務
・通訳+品質管理アシスタント
など、「言葉の能力+実務能力」をキャリアパスに加え、将来の職務へ繋がる道筋を示すことが重要です。
3. JD(職務記述書)を明確化し、異動の範囲も明文化
日系企業ではなかなか難しい側面がありますが、可能であれば、
・担当範囲
・評価項目
・異動の可能性
を明確に記載しないと、後でトラブルになります。
特に「異動」は懲罰的と考えるタイ人が多いため、キャリアパスと合わせ提示できると良いかと思います。
4. 評価制度の透明性を高める
「上司の主観」だけで評価されると、タイ人は強い不満を持ちやすい傾向があります。
人間ですので、好き・嫌いがあるため、できれば感情が介入しない客観的で公正で明確な評価制度は定着の鍵です。
5. 定期面談でキャリアの軸を一緒に作る
自らキャリアを築ける人は少なく、管理者である上司が「キャリア形成の伴走者」になることで定着率が上がります。
まとめ

今回は、「なぜ、タイ人はキャリアに繋がりのない人が多いのか?」についてお届けしました。
タイ人のキャリアが「繋がりがない人が多く見える」のは、
・ジョブ型雇用
・給与アップ中心の転職文化
・家族を最優先する価値観
・ストレスを避ける国民性
・労働者保護法による職務変更の制限
・JD が曖昧な日系企業の慣行
が複合的に影響しているためです。
日本とは前提が大きく異なるため、「日本と同じキャリア観で評価しない」ことが駐在員・管理者に求められます。
そのうえで、
・採用段階の深いヒアリング
・JD とキャリアパスの明確化
・公平な評価制度
・管理者自身がキャリア形成を支援する姿勢
が、タイでの人材育成と定着の鍵になります。
タイという国の文化・価値観・法律を理解し、それに合わせたマネジメントを行うことこそ、赴任者が成果を出すための最重要ポイントだと考えます。
今日の内容が皆様のご参考になれば幸いです。