2026.2.2
日系企業の採用現場では、日本語能力試験N1〜N3を保持する人材が多く見られます。
彼らは日本語が堪能で、真面目で几帳面な印象を持つ一方で、「営業職」などの「対人折衝を伴う仕事」を希望しない傾向が強いのが特徴です。
実際に面談を行うと多くの場合、希望職種は「通訳」「翻訳」「総務」「コーディネーター」といったサポート業務に集中しています。
採用する日本人管理者からは「日本語もできて真面目なのに、なぜ営業をやりたがらないのか」という疑問がよく聞かれます。
しかし、この傾向は単なる性格の問題ではありません。
背景には、タイの教育制度、就職文化、職種のイメージ、社会的価値観、そして心理的要因が複雑に絡み合っています。
今回、その構造的な背景を整理し、日本人管理職がどのように理解し対応すべきかを考えていきたいと思います。

教育·文化·心理·労働環境からみる4つの背景
背景1 タイの大学教育と就職文化の構造的ギャップ
日本では大学が企業説明会を主催したり、キャリアセンターを設けて就職活動を支援したりしますが、タイの大学にはそのような仕組みがほとんどありません。
学生は自ら情報を探して大学卒業後に就職活動を行いますが、そもそも「どんな職種が存在するのか」を知らないまま卒業するケースが多いのが実情です。
一部の大学ではインターンシップが単位として認められていますが、その期間は数週間程度で、実際の職務内容を深く理解できる機会にはなっていません。
結果として、学生は「日本語ができる=通訳・翻訳」とイメージし、単純に職業選択を行い、自分の専門性をどのように活かすかを考える機会を持てずに社会に出ていきます。
営業職のように「数字責任」「顧客交渉」「クレーム対応」を伴う職種は、大学時代に触れる機会がないため、未知の世界であり、恐怖や不安を感じやすいのです。
また「営業」と聞くと「物を売る=屋台で食べ物を提供する」のようにイメージする人も多く、社会的な地位が低いのではと考える人も少なからずいます。
背景2 日本語学習者の特徴と価値観
多くの日本語学習者は、アニメや漫画、音楽をきっかけに日本文化に興味を持ちます。
このような背景を持つ学生は、内向的で繊細、几帳面で観察力が高いという特徴を持つことが多く、「静かに努力する」「空気を読む」といった行動特性を身につけています。
日本語学科のカリキュラムも、主に文法・翻訳・通訳・日本文化理解が中心で、プレゼンテーションや営業活動、リーダーシップ訓練の機会は限られています。
そのため、社会に出てからも「営業=人前で話す」「断られる」「叱られる」という心理的負担を伴う職種を避けようとする傾向が強くなるのです。
また、大学側の考えとして、「大学は教育の場である」、「職業選択は本人に起因する」という考えが根底にあります。

背景3 タイ文化における“争いを避ける”価値観
タイ社会では、対立や怒りを避け、平和を重んじることが美徳とされています。
仏教的価値観の影響から、「怒らない」「無理をしない」「穏やかでいること」が人としての理想とされており、競争や争いは好まれません。
営業や交渉の現場では、時に意見の衝突や厳しい要求が発生します。
このような場面は、タイ人にとって心理的ストレスが大きく、できるだけ避けたいと考えるのが自然です。
また、「断られること」や「叱られること」を個人的な否定と捉える傾向もあり、精神的に消耗しやすいようです。
その結果、対人ストレスが少なく、心の平穏を保てる職種として、通訳・総務・経理などの事務職を選ぶ人が多くなっています。
背景4 労働市場の構造と企業側の誤解
タイの求人市場では、「日本語=通訳·翻訳職」として定着しています。
多くの人材紹介会社も、N1~N3保持者を「サポート職」に分類し、営業職として紹介することはほとんどありません。
そのため、本人も「営業職は自分には向かない」「日本語人材は裏方の仕事をするもの」という固定観念を持ちやすくなっています。
そもそも、営業が何を行うのかをイメージできない人も多いです。
一方で、日本企業側は「N2レベルの語学力があれば、顧客対応もできるだろう」と期待して採用するため、採用後にミスマッチが起こりやすいのです。
教育・労働観・心理面から考える
ここでは、教育·労働観·心理面から日本語能力試験N1~N3保持者が、なぜ営業などの仕事をやりたがらないかを考察したいと思います。
考察1 教育制度の“キャリア形成機能”の欠如
タイの大学教育は先に述べた通り「知識の習得」に重点を置いており、「職業教育」や「キャリア形成教育」は発展途上と感じます。
学生は自分の専門が社会のどの分野で求められるかを学ぶ機会が少なく、社会人としてのロールモデルも持ちにくいのが現状です。
結果として、就職活動では「心が安定していて静かに働ける職場」を選ぶ傾向が強まり、挑戦的な職種や不確実性の高い分野を避ける傾向が見られます。
考察2 仏教的価値観と心の安定志向
仏教では「無理をしない」「怒りを持たない」「執着を手放す」ことが心の安定につながるとされています。
そのため、競争やプレッシャーを伴う仕事は「人生を乱すもの」として避けられる傾向があります。
営業職を避けることは、単に逃げるのではなく、「心の平穏を守る」という文化的合理性のもとにある行動です。
これは、仏教的価値観が労働観にも浸透している証拠でもあります。
考察3 心理的安全性を求める行動特性
タイ人は他者の感情に敏感で、上司からの言葉や態度を非常に気にします。
特に日本人上司の「率直で直接的な言い方」が心理的負担になることが多く、叱責や否定を恐れる傾向があります。
このため、「自分の性格に合った穏やかな仕事を選ぶ」という方向に行動が偏りやすいのです。
逆に言えば、上司が心理的安全性を確保してくれれば、行動の幅は大きく広がる可能性があります。

対応策と実務への応用
前述した背景や考察を踏まえた上で、タイで働く日本人管理者はどのような対策を行うべきかを考えてみます。
① 採用段階での適性評価
採用時には日本語能力だけでなく、「対人回避傾向」や「挑戦意欲」などの心理的特性を把握することが重要です。
面接では、「人との交渉が多い業務についてどう感じるか」「困難な場面でどのように対処したか」といった質問を通じて、性格と適性を見極める必要があります。
また、本人が醸しだす雰囲気というのでしょうか…。
表情やしぐさなど全体を観察することも大切だと感じます。
② キャリア教育の機会を社内で補う
タイの大学で得られなかった「職業理解」を、企業が社内研修で補うことが効果的です。
営業職の役割や価値、顧客との関係づくりの重要性を、実例を交えて丁寧に説明することで、誤解や不安を減らすことができます。
また、「当社の営業職はこういう仕事を行う」のように、具体的な仕事の内容を伝えるというのも必要になってきます。
③ 小さな成功体験を積ませる
いきなり数字責任を持たせるのではなく、先輩との同行営業やチームでの顧客対応などを通じて、安心して学べる環境を作ることが大切です。
「自分にもできた」という小さな成功体験が、自信と挑戦意欲を生み出します。
④ “裏方人材”の新しい活かし方
営業や通訳といった単純な職種分類にとらわれず、SNS運用や顧客満足度調査、営業企画サポートなど、営業と事務の中間領域に新しい役割を設ける方法もあります。
語学力と文化理解を持つ日本語人材を、より柔軟に活かす発想が求められます。
「日本語能力+α(具体的な実務)」での採用を個人的にはお勧めしています。

まとめ
日本語能力試験N1〜N3保持者が営業職を避けるのは、性格や意欲の問題ではなく、教育制度や文化構造に根差した行動です。
タイの大学教育にはキャリア形成機能が乏しく、学生は職業の現実を知らないまま社会に出ていきます。
また、仏教的価値観が「穏やかに生きる」ことを重視するため、競争や衝突を伴う職種は避けられがちです。
企業がその背景を理解し、心理的安全性を確保しつつ、キャリア教育を補完することで、日本語人材はより主体的に成長し、企業の中で広く活躍できるようになると考えます。
最終的に重要なのは、「人を変える」のではなく、「人を理解し、育てる」ことです。
教育の空白を埋め、文化の違いを尊重する経営こそ、タイでの持続的成長を支える最大の鍵となるかと思います。
何かのご参考になれば幸いです。