タイ赴任1年目に押さえておきたいタイの文化的背景を踏まえた労働環境

2025.6.25

みなさま、こんにちは。前田千文です。
1998年にタイの地に降り立ち、気が付いたら27年の歳月が流れていました。
最初の1年間はタイの公立学校で日本語教師として働き、タイ人社会にどっぷりと浸かり、タイの社会はどうなっているのか?を体感しました。

その後、会社員を経て起業をしたのですが、日々、言葉や文化、価値観の違いがあり戸惑うことが多くありました。
このエッセイを読んでいる皆様もタイでの駐在生活が始まり、期待とともに不安も感じている方も多いのではないでしょうか。
異国の地で働く上で、法律や文化、価値観の違いは戸惑いの原因になることもあります。
日本式を押し通すと摩擦になる事も多く、かといってタイ式に合わせることも難しいのが本音です。
現地の仕事観や文化的背景を理解した上で、日系企業である以上、会社の考え方も理解してもらうことが円滑な職場運営には欠かせません。

これから皆さんのタイでの生活やお仕事をより良いものにするために、私の経験が少しでもお役に立てば幸いです。

タイの「働く環境」と日本との文化的な違い

階層意識とメンツを重視するタイ人の価値観

タイ社会には、古くから仏教と王制に支えられた「厳格な階層構造」が存在してきました。
特にタイ仏教においては、「年長者や上位者を敬う」ことが徳とされ、社会生活や職場にもその価値観が強く根付いています。
そのため、上司や管理者に対する敬意は当然とされる一方で、部下や年下の「顔(メンツ)」を潰すことは非常に嫌がられます。
またタイ語には、日本語の「○○さん」にあたる「クン○○」という敬称があります。しかし、社内でタイ人同士の会話に「クン○○」はあまり使われません。
微妙な距離感と言いましょうか、「クン○○」というと余所余所しいといいましょうか、なんか遠い感じがするそうです。
そのかわり、「厳格な階層構造」を背景とした「クン○○」に代わる言葉があります。
先輩や年上は「ピー○○」と呼ばれ、後輩は「ノーン○○」と呼ばれます。
また、「クラップ(男性)/カー(女性)」といった丁寧語があり、会話の端々にも敬意の度合いが反映されます。
こういった文化的背景から、人前での叱責や批判は「個人の尊厳を著しく傷つける行為」とみなされることが少なくありません。
昔、先輩のタイ人経営者に「タイ人を叱る時は、相手に逃げ道を与えてあげるのも徳の1つ」と諭されたことがあります。
日本人は…、やはり外国人なので同じ会社にいるけど「よそ者」なんでしょうか?この「ピー/ノーン」の階層構造に組み込まれることはほとんどありません。
「内と外」、「本音と建前」なんでしょうか…。

この微妙な感覚は、何十年経ってもなかなか理解できません。

時間感覚と「マイペンライ」の精神

タイ人の時間感覚は、日本のような「正確さ·効率重視」型とは異なり、「柔軟さ·寛容さ」に重きを置いています。
これは、タイの「高温多湿な気候」、「豊かな土壌」と深く関係しています。
古来より、暑さの中で無理に働くことは命に関わる問題であり、「焦っても良い結果は出ない」「なるようになる」という価値観が育まれてきました。
また、豊かな土壌であり、自然の恵みのお陰で餓死する心配がないというのは、日本人とは大きく違うところです。
このような背景から生まれたのが、タイ人に深く根付いている「マイペンライ」という考え方です。

この言葉は直訳すると「気にしないで」「大丈夫」といった意味ですが、単なる口癖ではなく、「人生観の表現」でもあります。
基本は「今」に重きを置き、「今」を生きています。
遠い未来を考えるよりも、今を生きるという価値観があります。
何か問題が起きても騒ぎ立てず、次に活かす、という前向きな捉え方とも言える考え方です。

その一方で、ビジネスの現場では「マイペンライ」が根底にあると、納期や品質への意識が希薄になります。
よって、就業規則を始めとした職場のルールや時間の厳守については、「明確な基準と周知」「平等な罰則」が必要です。
また、明確な基準と罰則を明文化するだけではなく、守らなかったことにより、最悪どんな問題が発生し、その結果、自分たち(タイ人従業員)にどういったデメリットがあるかを説明すると、意外とすんなり守ります。

タイ人は自分が損をしたくないと考える人が多いので、具体的なデメリット、例えば「給料に響く」、「ボーナスに響く」「○○バーツの損をする」など、相手の目線で具体的に開示すると理解を得やすいです。
街中にあふれる「Buy 1 Get 1 Free」などを見ると、タイ人の感情を揺さぶる良いキャッチコピーだなぁと思います。

タイの労働法と職場のルール理解のポイント

解雇規制とメンツ文化の関係

先にタイは階層社会だということに触れましたが、会社で働く従業員は、権力者である会社から守らなければいけない「弱者」という考えがあります。
日本でいう労働基準法がタイでは「労働者保護法」という法律名というのも、弱者保護の考えが根底にあります。
これは、第二次世界大戦後の社会発展と労働者の権利向上運動の歴史的背景に加え、タイ人の「顔(メンツ)」を非常に重んじる文化的価値観によるものが大きいです。
解雇は単なる雇用契約の解除ではなく、労働者の社会的信用や生活基盤を脅かす重大な行為であるため、裁判でも厳しく判断されやすいのです。
タイ人にとっては、「解雇=恥をかくこと」であり、本人のみならず家族の面子も傷つく重大な問題となります。
また、弱者保護の観点から日本でいう労働審判(調停)から訴訟に至るまで、その費用は無料であるため、日本にいる以上に労働訴訟の当事者になる可能性は高いです。

日本では平均して年間3,000件ほどですが、タイでは4万件前後となっており、管理者としてタイにいる以上、日本の10倍以上、訴訟の当事者になる可能性が高いとも言えます。
解雇の前に企業側は「改善の機会を与えたか」が重要視され、それでも改善されなかった場合は「十分な説明·相談の機会」を与えることが求められ、単純に成果や態度の問題で即時解雇はできません。
労働者保護法の条文を見ると、解雇に掛かる金銭を支払えば雇用契約の解除ができるように読み取れるのですが、実際は先に述べたようなプロセスが求められます。
管理者は、法令遵守だけでなく、解雇までのプロセスおける「敬意と配慮」が必要であり、また、このプロセスにおける「証拠」も必要とされています。

まとめ

異国の地で働くことは、文化や価値観の違いに戸惑うことの連続です。
しかし、その違いを「知る」ことが、円滑な職場運営や信頼関係の第一歩になります。
タイ人の働き方や考え方には、歴史や気候、宗教に根差した深い背景があります。
それを理解し、尊重したうえで、日本企業としての考え方を丁寧に共有していく姿勢が、駐在員·管理者としての重要な役割ではないでしょうか。
タイでの経験が皆さまにとって実り多きものとなることを、心より願っております。

執筆者:前田千文

2001年1月、TJ Prannnarai Recruitment創業。2015年より泰日経済技術振興協会にて労働法の講師を拝命。2025年7月、アベノ印刷の2代目社長に就任。

ウェブサイト:
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